爆撃機が入っていた掩体壕。見つけにくい丘陵地に作られている
掩体壕
赤江飛行場は昭和18年(1943)に建設されました。爆撃機や戦闘機を守るために日本海軍が建設した格納庫(かくのうこ)が掩体壕です。
宮崎空港近くには現在7基の掩体壕が残っています。そのほとんどは私有地にあり、風化が進んでいます。
本郷3丁目に延びていた地下壕跡。
通称「こうもりトンネル 」
地下要塞(ようさい)化されていた
殿山(とのやま)地下壕跡
799人が慰霊されている
宮崎特攻基地慰霊碑
【ひとくちメモ】宮崎空港の辺りには、田元(たもと)、高畑(たかばつけ)、津屋原(つやばる)の集落があり、松井用水路から水路も引かれ豊かな水田が広がっていましたが、太平洋戦争のときに、飛行場を建設するために住民は強制退去させられました。
國土地理院の地図より(昭和12年発行)
田元神社(たもとじんじゃ)
寛治4年(1090)、都万神社(西都市)の祭神 木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を、神託により赤江村恒久の地に分祀(ぶんし/別に神社を設けてまつること)しました。現在の社殿は平成25年に竣工。
毎年6月30日に行われている、夏越(なごし)の祓(はらえ)茅(ち)の輪くぐり
本郷神楽が2011年に復活され
奉納されている
風鈴回廊は春から夏にかけて
設置されている
田元神社の祈年祭で舞われる親子獅子
左)板碑(いたび)
慶長18年(1613)建立
中)六地蔵幢(ろくじぞうどう)大永8年(1528)小城出雲守建立
右)十一面観音像(じゅういちめんかんのんぞう)
推定江戸後期作