古墳時代  枯木ヶ迫遺

奈良時代  松ケ迫窯跡

平安時代  経筒(郡司分)

明治時代  明治22年(1889) 赤江村成立

鎌倉時代  建久8年(1197)  国富荘「建久図田帳」

      国富本郷 240町 地頭 土持太郎宣綱

      左右恒久 100町 地頭 平五

      吉田(田吉)  30町 地頭 平五

室町時代  国富荘 足利尊氏所領

      国富荘 伊東氏・土持氏の支配

      文明18年(1486) 加護八幡 伊東祐邑の慰霊

江戸時代  寛永16年(1639) 松井用水路

       寛文2年(1662)   外所地震

       享保8年(1723)   霞之流剣士 年炭源助(年見与一左衛門)

大正時代  大正2年(1913)   宮崎軽便鉄道開業

      大正12年(1923) 日豊本線開通

      大正15年(1926) 赤江町となる

昭和時代  昭和18年(1943) 海軍赤江飛行場竣工

      昭和18年(1943) 赤江町が宮崎市に合併

      昭和20年(1945) アメリカ軍空襲

弥生時代  市位遺跡

奈良時代の窯跡 「松ケ迫窯跡」

国富ヶ丘団地近くにあった松ヶ迫窯跡は、県内で確認された4か所の窯跡の中で最も古く、8世紀中頃から9世紀初頭のものと考えられています。昭和39年(1964)に松ケ迫池(通称岩切池)で発見され調査されましたが、団地造成などでため池の一部が埋め立てられ、現在、窯跡は所在不明になっています。

経筒(きょうづつ)

平安時代に、仏教がすたれるという考え方(末法思想)が広まり、人々は経典を銅や陶器の箱に入れ、極楽往生や現世利益(げんせりやく)を願って地中に埋めました。県内では17の経筒が発見されています。郡司分の山下地区にある小高い山は「霧島様」とか「霧島山」と呼ばれる霧島信仰の山で、この山から高さ45cmくらいの平安時代末期の経筒が出土しています。

松井用水路

霞之流剣士 年炭源助の墓(松崎寺)

写真提供:宮崎県総合博物館

平成時代  平成18年(2006) 宮崎市に地域自治区制度が導入される

      平成28年(2016) 赤江地域自治区が、赤江地域自治区と本郷地域自治区に分離